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『生ける屍』(いけるしかばね)は、1918年(大正2年)製作・公開、日活向島撮影所製作、日活配給による日本のサイレント映画である。 == 製作 == 1900年(明治33年)前後、ロシア帝国(現在のロシア)のレフ・トルストイが執筆し、死後発表された戯曲『生ける屍』を、1917年(大正6年)に島村抱月の芸術座が松井須磨子を主演に上演している。日活向島撮影所では、1914年(大正3年)に同じく芸術座がトルストイの『復活』を上演し、これを映画化した『カチューシャ』を製作、ヒットさせた経緯があり〔『日本映画発達史 I 活動写真時代』、田中純一郎、中公文庫、1975年11月25日 ISBN 4122002850、p.218-221.〕、本作を製作した。脚本には『カチューシャ』同様に桝本清、監督には、同年、岡本綺堂原作の『暁』で監督としてデビューした田中栄三が起用された〔『日本映画発達史 I 活動写真時代』、p.274-279.〕。 従来の同社の映画では、監督名等がクレジットされていなかったが、本作では、イタリア映画を真似て、アヴァンタイトルに監督名、撮影技師等の名をクレジットしたという〔『日本映画発達史 I 活動写真時代』、p.274-279.〕。本作は、向島の「革新映画」の第1作と呼ばれた〔。従来、同撮影所のトップスター女形として活躍し、『カチューシャ』にも主演した立花貞二郎は、本作のリイザ役を最後に、同年11月11日、満25歳で死去、本作が遺作となった〔『無声映画俳優名鑑』、無声映画鑑賞会編、マツダ映画社監修、アーバン・コネクションズ、2005年、p.152。〕。サーシャを演じたのは、のちの映画監督衣笠貞之助である〔『わが映画の青春 - 日本映画史の一側面』、衣笠貞之助、中公新書、1977年、p.20-22.〕。 ロケーション撮影は長野県北佐久郡軽井沢町で行われた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「生ける屍 (1918年の映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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